学習工学{情報構造,構造の操作,ガリペリン,対象的行為,構成主義と伝達主義}

「学習工学」とは,「人が学ぶ」ということを対象とした工学(さらに絞れば情報工学),です.工学とは,人に役立つモデル,方法,技術を提供することを目指した学問です.どういった現象を対象にするかによって,様々な工学に分かれますが,「人が学ぶ」という現象も工学の対象となりえる,としたのが学習工学です.学習工学は情報工学の一部といってよいのですが,これは,「人の思考を情報に対する操作として捉えることができる」という仮定が学習工学にあるからです.「人の学び」は「人の思考」の結果としての「人の内部状態の安定した変化」であるとすると,人の学びを促進するとは,「人の情報に対する操作を促進する」ことであるということになります.ここで,さらに,「人の内部状態の安定した変化」をもたらすような「情報の操作」を行うことができるようにすることが肝要といえます.このような考え方に従うと,ガリペリンの知的行為の多段階形成理論,が学習工学の背景として最もしっくりするものの一つということができます.また,この多段階の中の「対象的行為」の段階がまさしく「学習につながる人による具体的な情報操作」を指摘していると解釈できますし,学習工学が情報システムを用いて実現しようとしているものと一致してきます.パパートがマインドストームで主張した,学習対象の部品化,操作可能化,そして,その操作を通した内化,は,ほぼ同様の意味に解釈できます.また,ノーマンが指摘したメンタルモデルの持つ三つの側面:デザインモデル,ユーザの持つモデル,システムイメージ,とその形成プロセスの議論とも対応しそうです.

このような考え方は,「人の学びは構成的なものである」と捉えているといえます.同時に,これらの考え方には,学ぶ対象の構造の可視化と操作対象化,が必然として含まれています.学習工学は,構成的な学びを,対象の分析・モデル化,によって可能にすることを目指したものであるということができます.このような考え方は,「人の学び」を「工学的に考える」立場からすれば,非常に古くから脈々と受け継がれてきた考え方です.(また,教師のいうことを子供が鵜呑みにするだけでわかったことになる,というような考えが教育の現場から出てくることも考えにくいを思います.このような立場からすると,いわゆる「教育観のパラダイム変換」というのは,いわば言葉遊びの一種であり,教育の現場や現実のものづくりを行っている工学の立場からすると,無意味なだけでなく,議論を混乱させるだけの有害なものであるといっていいでしょう.)

情報基盤の充実,教育現場での必要性の高まり,などの状況整備が整いつつある今,教育現場と学習工学が結びつくことで,教育・学習に大きな変革をもたらすことが可能になってきました.本来の教育のパラダイム変換は,「観」から来るのではなく,「道具とその実践」から始まるのではないかと思います.その後に来る「観」の変化が,おそらく真正の「教育観のパラダイム変換」ということになるように思います.