「学習」への「工学的アプローチ」

平嶋 宗

広島大学大学院工学研究科

「学習」は人の行う最も知的な活動の一つであり,「教授」はその学習活動を促進するさらに高度な活動である.この人に特有の知的な活動の支援を目的としたシステムの設計・開発は,人の知的活動への本質的な関与を必要とするものであると同時に,設計・開発されたシステムの適用対象が具体的に存在するという点で,人工知能においても最も興味深い研究課題の一つであるということができる[溝口 93].「学習」や「教授」はもともと学際的な領域であり,人工知能の立場からも複数のアプローチがありえるが,ここでは,学習・教授活動のモデリングとモデルに基づく設計・開発,といった学習支援環境のシステマティックなデザインを指向する観点から,知的学習支援システムに関する研究を概説する*1.

人の知的活動の支援を実現する上で,その知的活動やその対象に関する記述的なモデルを構築し,そのモデルに基づいてその活動を支援する仕組みを設計・開発してゆく,という試みは,人工知能においても基本的なアプローチの一つであるといってよい.最初の知的な学習支援環境(知的CAI / ITSとも呼ばれる)とされるSCHOLAR[Carbonell 70]は,記憶のモデルとしての意味ネットワークの提案[Quillian 68]を受けて設計・開発されたものであり,明示的な知識構造に基づいて人と知的な対話を行うシステムとしては最も初期のものである.Carbonellは,このSCHOLARにおいて"Information-Structure-Oriented CAI (Computer-Aided Instruction)"という考え方を提唱し,それ以前のCAIにおいて用いられてきた"Frame-Oriented CAI"と対比した.Frame-Orientedとは,教授活動をフレームという単位で電子化しようという試みであり,これに対して,Information-Structure-Orientedは,教えるあるいは学ぶべき情報の構造を明らかにすることをまず最も重視し,その上でその伝え方を設計するというアプローチであり,「人の知」について考えることが学習支援環境の設計・開発のベースとなることを明確にしたことで知的CAIの始まりに相応しい研究であったといえる.Clanceyは,世界で最初の実用レベルの能力を持ったエキスパートシステムとされるMYCINの知識ベースを教材として診断法の教授を行うGUIDON[Clancy 79]の設計・開発を通して,人にとってわかりやすい知識構築の必要性に気づき,その知識の再構成(NEOMYCIN)とその知識を用いた教授システムであるGUIDON2およびそのような知識を構築してゆくためのシェルHERACLESといった一連のシステムの設計・開発を行った[Clancey 86].これらの研究は,「知識」に工学的に取り組む必要性と意義を示したという点で,知識工学の一つの起源となっているということができる.また,定性推論の主たる提唱者であるde KleerとForbusは,ともに学習支援に関する研究を通して対象となる系を定性的に説明することの必要性に気づき,その必要性に応えるものとして定性推論を作り出した.de Kleerは回路の学習支援環境として有名なSHOPIEにおいて,回路の振る舞いを定量的に説明するだけでは学習者の理解の助けならないとの知見に基づき,学習者にとって受け入れ可能な説明を生成するものとしての定性的な説明の生成法を考案している[de Kleer 81].ForbusはSTEAMERという蒸気プラントの教育用シミュレータにおいて,学習者にとって理解可能な説明を追及したものとして定性推論に到達している[Forbus 81]*2.これらの研究が,学習に貢献する説明の実現を目指して,人の学習活動や学習対象あるいは知識のモデリングの試みとして出発・発展したことは注目すべきであろう.

また,Papertは,MINDSTORMS:Children, Computers and Powerful Ideas[Papert 80]の序論において,"Anything is easy if you can assimilate it to your collection of models. If you can't, anything can be painfully difficult (p. xix) "と述べ, また,”LOGO's Roots: Piaget and AI"という章を設けた上で,"When knowledge can be broken up into "mind-size bites", it is more communicable, more assimilable, more simply constructable(p. 171, paperback edition)"と述べており,知識を明示的に記述する試みとしての人工知能の学習支援における可能性を指摘している.MINDSORMSには,情報工学,特に人工知能が学習についての新しいアプローチをもたらすであろうという言及が随所に見られる.この言及に関してはいくつを附録に記載する.

Wengerは,知的学習支援に関する研究の優れたサーベイとして"Artificial Intelligence and Tutoring Systems – Computational and Cognitive Approaches to the Communication of Knowledge"[Wenger 87]を出版しているが,このサーベイの最も重要な点は,知的学習支援を単なるAI技術の応用としてみるのではなく,副題にある”Knowledge Communication:知識の相互伝達"のモデリングの試みとして捉えていることである.このことは日本語版の監訳者序文において,”(知的CAI/ITS研究とは,)すなわち,記憶,思考,理解,認識といった不明瞭な事象を明瞭な形式で(たとえそれらが仮説的構造モデルであったとしても)記述し,それを様々な推論の仕組みの元でシミュレートし,教育という現象や振る舞いの正当性を積み上げていこうとするものである”と端的にまとめられている.また,知識は学習者自身によって構成されるものであり,その構成を促進するコミュニケーションを実現しうる道具としての知的CAIの位置づけがこの当時すでに広く共有されていたことは改めて認識すべきであろう*3

この本の副題の前半となっている"Computational and Cognitive Approaches"はさらに重要な意味を持っており,モデリングのアプローチとして,Computationalなものと,Cognitiveなものがあることを示唆している.Computationalであることをより広く論理的な説明可能性であると捉えると,学習を支援するためのシステムや機能の設計やその妥当性の説明に有用であるといった,利用に対しての合目的性を追求したアプローチとしてComputationalを解釈することができる.これに対してCognitiveは心理学的,認知科学的な妥当性を主眼においたものと解釈することができる.当然のことであるが,両者がともに満たされるのが研究としての最終ゴールであり,さらにいえば,一方のアプローチにおいて優れたものは,他方のアプローチからみてもよいものになっていることが期待できる.しかしながら,研究のスモールステップにおいては,そのアプローチの違いが顕著に現れる可能性がある.Cognitiveなアプローチに関しては,「学習科学」と呼ばれる研究分野が心理学をベースとしてすでに立ち上がっている.これに対してComputationalなアプローチは学習への貢献という具体的な利用への合目的性を重視する立場から,「工学」と考えてよく,ここに「学習」の「工学」が成立する可能性を筆者はみている.

この「学習」への工学的アプローチにおけるモデリングでは,そのモデルに基づくことによって可能となる学習・教授に関するデザインの透明性・新規性を重視することとなる.このため,認知的な妥当性およびその検証がしばしば後回しとなる傾向にある.しかしながら,その検証が終わるまで新しいものを作らない,あるいは,検証できさえすればそのモデルから設計しうるものの新規性は重視しない,という態度は工学的には妥当といえないであろう*4

このような意味で「学習工学」という言葉が用いられた最初の例は,本会の知的学習支援に関する研究会の名称である「先進的学習科学と工学研究会」*5においてであろう.この名称は,2004年に知的教育システム研究会の名称を変更する際に本論と同じような主旨の議論を経たうえで決定されている.また,教育システム情報学会においては,同年に解説特集として「学習科学と学習/教育支援システム」[平嶋 04]が組まれており,本会においても「学習支援の新たな潮流―学習科学と工学の相互作用」という解説特集が組まれており[柏原 06],本特集もこの流れを汲むものである.ここで念のために付け加えておくと,「学習工学」と「学習科学」は,人の学習を理解し促進する,という極めて困難で魅力的な課題にともに取り組む基本的には共通点の多いアプローチであり,連携してこの困難な課題に取り組むことが有効であることは疑いの余地はない[三輪 06, 三宅08,池田 08].この連携を実質的なものとする上でも,「学習」に対する「工学」とは何かを明らかにすることが必要であるというのが,筆者の立場である.

先に,知的学習支援に関する初期の研究が「学習工学」と呼ぶに相応しいモデリングとそれに基づくデザインを中心としたものであり,また,関連分野に大きな影響を与えてきたことを述べた.それ以降も「学習工学」に属する研究は着実に行われてきており,相応の成果を挙げているが*6,初期の研究ほどの影響力を持ちえていないのが現状である.一つの原因は,教育現場の受入環境が整っていなかったということであり,またその整備が進む過程においては,モデリングやデザインに注力しなくてもとりえあずは,マルチメディア化,インタネット配信,などのいわゆる「電子化」といったことを行えば,相応の効果が見られたからであろうと推察される.eLearningという言葉の普及が示すように,教育現場での受け入れ態勢が整い,教授・学習における計算機利用が一般化した現在,モデリングとそれに基づくデザインによって新しい学習活動を提案・実現して行くといった「学習」に対する工学的なアプローチが再びその重要性と有用性を増してくると考えられる.

このようなアプローチでは,理想的には,学習対象,あるいは学習/教育活動,のモデル化が核心的な部分となる.システムの設計は,このモデルに基づいて行われ,説明されることになる.このモデルは,認知科学・心理学・教育的な知見・経験に基づいて構築されたものであることが望ましく,またそのモデルに基づいて設計されたシステムが,どのような学習効果をもたらすのかを明らかにしている必要がある.この学習効果は,システムの利用実験を通して検証される必要があり,また,その検証は基盤となったモデルへの評価ともなる.このようなアプローチは,考えて,作って,実践・評価する,までを求められるわけであり,非常に手間のかかるアプローチであるといえる.また,より学習の本質的な部分を考えようとすると,特に評価の段階で何をどのように測るかということが大きな問題となってくる.このため,往々にしてかけた時間と労力の割りには完成度が上がらないといったことになる.このことが,このアプローチが必ずしも広く行われていない大きな原因であると考えることができる.しかしながら,「学習」に関する研究を継続的・積み上げ的に行っていくためには,単に情報技術を用いて「作ってみる研究」や教育的・心理学的な観点から「調べてみる研究」だけではなく,上述のようなアプローチを盛んにすることが必要といえる.そのために,「学習工学」というアプローチを定式化し,共有可能なものにすることが求められるであろう.

◇ 参考文献 ◇

[AIED2009] http://www.aied2009.com/

[Carbonell 70] Carbonell, J. R.: Ai in CAI: an artificial intelligence approach to computer-assisted instruction. IEEE Transaction on Man- Machine Systems, Vol.11, No.4, pp.190-202(1970).

[Clancey 79] Clancey W.J.: Tutoring Rules for Guiding a case method dialogues, International Journal Man-Machine Studies, Vol.11, pp.25-49(1979)

[Clancey 86] Clancey W.J.: From GUIDON to NEOMYCIN and HERACLES in twenty short lessons: ONR final report 1979-1985, AI Magazine, Vol.7, No.3, pp40-60(1986),

[de Kleer 81] de Kleer, J. and Brown, J.S.: Mental Models of Physical Mechanisms and Their Acquisition, Cognitive Skill and Their Acquisition, LEA, pp.285-309(1981).

[Forbus 81] Forbus, K. and Stevens, A.L.: Using Qualitative Simulation to Generate Explanations, BBN report 5511(1981).

[Forbus 02] Forbus, K.: Helping Children Become Qualitative Modelers, 人工知能学会誌,Vol.17, No.4, pp.471-479(2002).

[平嶋 04] 平嶋宗,三輪和久(編):特集「学習科学と学習/教育支援システム」,教育システム情報学会誌, Vol.21, No.3, pp.143-192(2004).

[池田 08] 池田満:先進的学習科学と工学研究の動向,人工知能学会全国大会講演集, 3M3-1(2008).

[ITS2010] http://sites.google.com/site/its2010home/

[柏原 06] 柏原昭博,伊東幸宏(編):特集「学習支援の新しい潮流―学習科学と工学の相互作用」,人工知能学会誌,Vol.21, No.1, pp.51-98(2006).

[Lave 91] Lave, J. and Wenger, E.: Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation. Cambridge, Cambridge University Press(1991).

[三輪 06]三輪和久:学習の科学と工学を結ぶメディアとしての学習支援システム,人工知能学会誌,Vol.21, No.1, pp.53-57(2006).

[三宅 08] 三宅なほみ:協調的な学習とAI,人工知能学会誌,Vol.23, No.2, pp.174-183(2008).

[溝口 93] 溝口理一郎:コラム2-知的CAI研究の勧め,エキスパートシステムII-技術の動向,pp.48-49,朝倉書店(1993).

[Perpart 80] Papert S.: Mindstorms: Children, Computers, and Powerful Ideas, Basic Books(1980)(奥村喜世子訳:マインドストーム―子供,コンピューター,そして強力なアイデア,未来社(1982))

[Quillian 68] Quillian, M.R.: Semantic Memory, Semantic Information Processing, pp.227-270, MIT Press(1968).

[Wenger 87] Wenger, E.: Artificial Intelligence and Tutoring Systems – Computational and Cognitive Approaches to the Communication of Knowledge, Morgan Kaufmann Publishers(1987).(岡本敏雄,溝口理一郎監訳:知的CAIシステム―知識の相互伝達への認知科学的アプローチ,オーム社(1990))

◇ 脚注 ◇

*1 本稿は,下記の原稿をベースに作成したものである.

平嶋宗:「学習」の「工学」に向けて,人工知能学会誌,24(1), pp.33.(2009).

平嶋宗:「学習支援システムのシステマティックなデザイン:学習の工学を目指して」にあたって,人工知能学会,25(2),pp.237-239(2010).

*2 Forbusはその後も学習支援に関して精力的な研究を続けており,その一端は人工知能学会誌に寄稿された解説[Forbus 02]でもうかがうことができる.

*3 Wengerはこのサーベイの数年後にLaveと共著で状況的学習に関する重要な著書を出版している [Lave 91].

*4 個人的でかつ乏しい経験を通してではあるが,このような考え方は教育現場での考え方にも近いのではないかとの印象を持っている.筆者も作成したシステムを教育現場で実際に利用してもらう試みを数年来続けているが,少なくとも筆者の接した教師の方々は,理論的背景や統計データにはあまり重きを置かず,そのシステムが自分の生徒にとって有用かどうかを経験的・直感的に判断し,利用する価値があるかどうか見極めているように見える.教育現場といった極めて多様で動的に変化する状況において教え方を工夫するということが,日々そういった判断と決断を伴うためであろうと理解している.このような教師の方々の専門性に重きをおけば,先生方に使ってみる価値のある道具であると判断していただき,実際にある程度利用していただいた時点で,まずは学習工学として時点で十分成功ではないかと考えている.もちろん,道具としての新規性が主張できることは前提となる.

*5 http://home.hiroshima-u.ac.jp/jsai-sig-alst/

*6国内では人工知能学会ALST研究会,国際会議としてはAIED(直近では[AIED2009])およびITS(直近では,[ITS2010])において特に活発である.

◇ 附録 (Mindstormsからの引用◇

人工知能の目的は,抽象的で形而上学的でさえあった「思考」についての認識に,具体的な形式を与えることである.

The aim of AI is to give concrete form to ideas about thinking that previously might have seemed abstract, even metaphysical.

(In "Chapter 7 Logo's Roots: Piaget and AI", pp.157-158.)

我々が何を学ぶのかについてより深い洞察を得ることで,学習のプロセスについて理解しようとする.心理学的原理はこのことについて関係していない.自転車について研究することで,人々がいかにして自転車に乗れるようになるかを理解するように.ピアジェは,数に関する理解を深めることで,子供たちが数をいかにして学ぶかを理解すべきであることとを教えた.

What we have done here is understand a process of learning by acquiring deeper insight into what we being learned. Psychological principles had nothing to do with it. And just as what have understood how people ride bicycles by studying bicycles. Piaget has taught us that we should understand how children learn number through a deeper understanding of what number it.

(In "Chapter 7 Logo's Roots: Piaget and AI",pp.159.)

学習者を本質的な意味において,ブリコラーであるとみなせるといいたい

Here, I am suggesting that in the most fundamental sence, we, as learners, are all bricoleurs.

(In "Chapter 7 Logo's Roots: Piaget and AI",pp.159.)

※教育学における構築主義(constructionism)の議論の中で、シーモア・パパートは問題解決の二つの方法について述べている。分析的な解決手法とは正反対の方法として、彼は挑戦、試行、遊びを通した問題解決と学習の方法について説明し、これをブリコラージュと表現している。(Wkipipedia)

人の知識,がよいピアジェ的材料をデザインするのに必要である.誰がその材料を作るのか.その作る人の居場所がない.物理学者は,些細な問題と見る.教育者は,専門的過ぎて,基準に合わない.

The people knowledge I see as necessary to the design of good Piagetian material is itself complex. ……..This problem goes deeper than more a mere short supply of such people. The fact that in the past there was no role for such people has been cast into social and institutional concrete; now there is a role but there is no place for them. In current professional definitions physicists think about how to do physics, educators think about how to teach it. There is no recognized place for people whose research is really physics, but physics oriented in directions that will be educationally meaningful. Such people are not particularly welcome in a physics department; their education goals serve to trivialize their work in the eyes of other physicist. Nor are they welcome in the education school --- there, their highly technical language is not understood and their research criteria are out of step.

(In Chapter 8: Images of the learning society, pp.187-188)

コンピュータサイエンスを,学習や思考の説明の道具としてだけ用いるのではなく,学習や思考を改良する道具として用いる.

Seeing ideas from computer science not only as instruments of explanation of how learning and thinking in fact do work, but also as instruments of change that might alter, and possibly improve, the way people learn and think.

( In Afterword and Acknowledgments, pp.209.)